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ペンギン先生のさむ〜いレクチャー

  1. ペンギン経済学
  2. 胃の健康学
  3. 『後退』の人間学
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ペンギン経済学

 地球の(環境)経済史は、(ペン)ギン本位制と(サイ)キン本位制の盛衰という一面を持っている。

 人類が(ペン)ギンを導入した当初、それは貴重品としての扱いであり、同時に消耗品としての扱いあった。そこに(環境)経済を円滑に循環させる為のシンボルという発想はない。しかるに、(ペン)ギンの視覚的流通量が増えて、庶民の目にも触れるようになると、その美しさと光沢故に、循環の象徴として、たちまち愛されるようになった。ここに言う庶民とは筆(ペン)を持ってのみ権力者に立ち向かえる者であり、祭(サイ)を司る事によって庶民をたぶらかす権力者とは一線を画する。
 一方の(サイ)キンも、貴重品の扱いから、循環の象徴に昇格したが、それは決して庶民の目に留るようになった為ではない。というのも、余りにも質量が小さかったからである。むしろ、その小ささ並びに、その万能に近い有用さ故に、人間の内部を蝕むものとして警告された。もっとも、警告にもかかわらず、権力者たちは(サイ)キンへの重度の感染を止める事は出来なかった。
 かくて、(環境)経済を円滑に回す為の制度・・・(ペン)ギン本位制と(サイ)キン本位制の2つ・・・が生まれるに至る。一単位当たりの質量の多い(ペン)ギンが庶民レベルの循環において便利な重さであるのに対し、一単位当たりの質量の少ない(サイ)キンは権力者レベルの循環において便利な軽さである。それゆえ、王侯貴族大富豪が戦争奴隷を使う歴史を長らく続けた西洋に於いては、不平等を象徴する(サイ)キン本位制が発達し、殷、又の名を商という政権によって国家連合が成立した東洋では、政権滅亡後に四方に散った後裔、即ち商人によって経済が始まった事から、零細商人の機会均等を象徴する(ペン)ギン本位制が発達した。
 但し、これら東西の違いは、あくまでステレオタイプであって、実際には世の東西を問わずに(ペン)ギン本位制と(サイ)キン本位制の両方が同時に活性化され、その微妙な協力によって(環境)経済の循環を促進した。例えば、南極においては、魚と言う汚染物質高濃度蓄積システムの頂点に立つ事によって、世の中の負の遺産をすべて背負い込む(ペン)ギンいう存在があるが、彼らは負の遺産を排泄物と言う形で(サイ)キンに提供し、協力して海洋汚染物質の浄化に勤める。循環が物質を浄化するのは、(熱力学第2法則におけるエネルギー=エントロピー変換の公式にも示されているように)普遍の法則であり、(環境)経済学的にはこれを循環型浄化と呼ぶ。資金浄化も、元はと言えば、この法則を応用したに過ぎない。なお、頂点という意味ではクジラやイルカも同類ではあるが、サイズが大きくなると単位体重あたりのエサ消費量が少なくなるという法則ゆえに、(ペン)ギンほどの循環効率を持たない。

 かように、(ペン)ギン本位制と(サイ)キン本位制の相互協力は、人類に優しい(環境)経済循環に不可欠である。しかしながら、18世紀まで守られてきた相互協力は、19世紀に終焉を迎えた。それは、西洋に台頭した帝国主義によって(ペン)ギン本位制は(サイ)キン本位制に滅ぼされたからだ。
 (ペン)ギン本位制の消失は、決してそれが(サイ)キン本位制より劣っていた為ではなく、単に基準と言うものが力の強い国によって決められるという法則に従っただけである。そして、それは、国のサイズの拡大に伴って、庶民の声(筆)が政策(祭)決定から遠くなった事を意味するに過ぎない。実際、20世紀終盤になると、超大国の武力を背景に、ドル本位制という実質バブル本位制が(サイ)キン本位制をも駆逐する。(エネルギー)バブル本位制とは(環境)負債を将来に負う自転車操業システムであって、そこに「循環」に象徴される安定安心は存在しない。それは、更なる格差拡大と搾取を生み、同時に環境を破壊して、人間から人間らしい生活を奪う。それは北半球の問題でもある。
 (エネルギー)バブル本位制により、(環境)経済問題が顕在化した現在、我々は循環の本来の姿に立ち戻らなければならない。例えばペンギン本位制とサイキン本位制の協力という視点は必須と言えよう。

 ここに言うペンギン本位制とは、括弧付きの(ペン)ギンはなく、括弧を外したペンギンを循環のシンボルとする事であり、サイキン本位制とは、括弧付きの(サイ)キンはなく、括弧を外したサイキンすなわち細菌を積極的に循環に活用する事である。シンボルは人を動かす原動力であり、それは西洋諸国がシンボルに過ぎない国旗の為に大騒ぎする事からも明らかだろう。そして、このシンボルと表裏一体の実務者・・・細菌・・・が加わって、初めて有効なシステムとなりうる。(ペン)ギン本位制と(サイ)キン本位制の途絶えた北半球と違い、これらペンギン本位制とサイキン本位制は南半球において健在であり、それは北半球をも癒すチャンスが充分にある。
 現に、北半球に於ける環境の破壊や温暖ガスの上昇を緩和しているのが海の多い南半球である。そして、その食物連鎖の頂点に立つ陸上動物がペンギンだ。

 ペンギンよ、いまこそ人間を自転車から引きずり降ろすのだ!

written 2007-7-10

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胃の健康学

 諸君、準備は良いかね。よろしい。

 今日の講義は胃についてだ。
 ・・・そうだ、我々にとって最も大切な場所だ。
 胃というのは、ローマの詭弁に使われたように、栄養を一手に引き受ける器官だが、それと同時に、体の不調を、吐き気や食欲不審という形ですぐさま反映し、外部ストレス等に対しても覿面に反応する部位でもある。従って、胃を診断すれば、体全体の健康状態が分かる。例えば風邪を引くとエネルギー収支のバランスが崩れ、それによって体は高熱となるが、この時、胃は、体にひっきりなしに入ってくる余剰エネルギーを消化しきれなくなって、壁から液体を溢れさせる。それによる液体面上昇は生態系全体に大きな影響を及ぼすだろうという予想が出ている。

 胃を損ねる致命的な病気にどんなのがあるか、諸君は知っているかね?
 ・・・癌、それから?
 ・・・潰瘍、よろしい。
 それらは最も有名だな。
 癌にせよ、潰瘍にせよ、昔は生活習慣病と看做されていた。つまり、数世紀に渡る、生活の「便利」「安易」を求める堕落が胃を蝕むのだという信じられていたのだ。だが、この説は、主に炭素と酸素で構成された某炭酸化合物・・・ピロリ菌の事だよ・・・の発見に基づく「持続可能な便利生活」という概念により否定されている。実際、グルメであっても、総合的健康に留意すれば病気にはならないし胃を傷める事も無いからな。

 しかしだ、諸君! これらの病気に関して、ピロリ菌のような炭酸化合物のみを責めるのは間違っている。
 いいかね。いかなる病気の根源にも、ストレスや過労や不摂生による免疫力の低下がある事ぐらい、太古以来の常識ではないか。いったい、ヒトは都合の良い原因が一つ見つかると、すぐに他の原因・・・そうだ、都合の悪い原因だ・・・それに目を背ける癖があるが、決して真似てはならない。一個の原因だけのせいにしてしまうと、直接の病気は短期的に防げるかも知れないが、胃が本質的に不健康状態になる事を防ぐ事は出来ないからな。それどころか、以前よりも不健康な状態を続けてすら発病しにくくなる事から、慢性病が膏肓に入る可能性すらある。これが、現代の胃が病んでいる本当の原因だ。この事は花粉症にも当てはまる。睡眠不足や大気の化学汚染との相乗作用で花粉症は酷くも軽くもなるのだが、ヒトは寝る事を忘れて花粉症と闘っておる。馬鹿な種族だ。



 話が逸れたが、本題に戻ろう。
 現代問題になっている胃病は、体全体の病気・・永続的微熱である・・の一部として理解されておる。ただし、その影響がもっとも深刻に現れた部位が胃であった為に、胃の問題としても認識されているのだよ。健康を損なわせた重要要素として、原因物質と共に2つの要素、即ち、某炭酸化合物・・・いや、これはピロリ菌ではなく、シイオウツウと云うのだよ・・・それに対する免疫が弱くなっているという面と、太陽を始めとする外部ストレスが増加している面を忘れてはいけない。その双方が病気を悪化させる方向に働いているからこそ、原因物質が問題となるのだ。そもそも、体が健康だったら、某炭酸化合物は免疫力を高める物質なのだ。そうだ、薬も毒も同じ物質なのだ。体の状態により毒にも薬にもなる。
 例えばスポーツの後のビールを思い浮かべて頂ければ良いだろう・・・炭酸の抜けたビールは考えられないな。炭酸はノーマルな体においては生命を活性化させる基本物質であって、忌み嫌うべきものでは決してない。というのも、そもそも生命は水素と窒素を含む炭酸化合物で構成されているからだ。ただただ、免疫の弱っている時に大量に体の中に入って来たから、蓄積して問題を起こしているのだ。これらを無視して、微熱の本質問題の議論なぞ到底出来ない。

 以上が、体全体の問題の一部としての胃病だが、それ以外に、胃そのものも別の意味で病気になりつつある。諸君わかるかね? ・・・そうだ、細菌の急速な流入だ。
 もちろん、細菌の全てが悪い訳ではない。多くは良い細菌なのだ。特にこの胃は、古来より特定の生物と共生関係にあった。どのようにして共生関係が構築されたかについては次回の講義で説明するから、それまでに、宿題として、共生生物については調べておきなさい。
 さて、一番厄介な細菌についてだ。これは19世紀より徐々に入ったきた。もちろん当初は微々たる量だったので胃の健康を損なう事はなかったが、それでも約50年前に世界初の胃カメラ検診が行われた時には若干の浸食痕がみられた。
 問題はそのあとだ。特にここ十年程、観光菌という性の悪い細菌が入り始めた事は、胃全体に大きな脅威をもたらしている。分類学的には、この観光菌は、以前の探検菌と同じ種類の細菌ではあるが、毒性と量が圧倒的に大きい。観光菌は、現在、写真上部の半島部分に主に現れている。
 細菌の流入以外の問題としては、胃が薄くなる事があげられよう。これは例の微熱問題とも関係していると噂されているが、現時点ではまだはっきりした因果関係は分かっていない。それどころか、はっきりした兆候すら見られていない。しかし、癌を始めとする致命的な病気は、透視写真で見られるようになっては手遅れの事が多い。このくらい諸君でも知っておるな。だから、今のうちの胃カメラを増やす必要があろう。この診断・観測が、国際極地年のいわれの一つとされているのだよ。

written 2007-6-16
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『後退』の人間学

 現代において、『後退』は極めて繊細な問題だ。それは多くの男性にとっては深刻な問題で、同時にパートナーたる女性にとっても看過出来ないものとされている。
 ここで重要なのは『後退』問題が現代的な問題であるという事である。ギリシャ神話にも日本神話にも中国神話にも『後退』した姿、或いは『後退』の過程が生々しく記述される事はない。歳経たものは常に真っ白なものに覆われているというのが記述の基本であり、真っ白だからこそ、そこに尊敬の念が生まれるのである。そして、この白いものに若干の『後退』が交ざった所で、それが否定的な意味で大きく取り上げられる事はなかった。つまり、『後退』は決して社会問題とはならなかったのだ。

 『後退』が社会問題化されたのは、近代の産業革命以降の話である。
 まず、西洋で『後退』に関する記述が見られるようになる。すなわち、『後退』が厳然として存在する事が、その見た目の醜さと共に語られるようになった。
 もっとも、醜いというネガティブな報告に対しては、弁明というのが試みられるのが近代文明の常である。その結果生まれた一般的コンセンサスは、『後退』は人類の精力の証であって、同時に贅沢を意味し、決して悪いものではない、という意見であった。それは同時に、肥え太った人間の出す熱やガスや悪臭を、精力の象徴として許容する論理でもあった。『後退』が、Heritage という概念と絡められるようになったのもこの頃かも知れない。精力は子孫に伝えられ、強化されるものだからだ。
 しかし、これらの弁明こそが、『後退』現象の深刻化に関して、西洋文明が無頓着であり続けたという弊害を生んだ事は否むべきもない。『後退』問題はもっと早く真剣に議論されるべきだったのだ・・・手遅れになる前に!

 一方、自然を自然のままにする事を是とする日本では、『後退』は女性たちの強烈な排斥を受け、それが男性の自覚を促して、『後退』を食い止める機運が早い時期から生まれた。たとえば贅沢や精力が後退を生むという信仰は、西洋に於いては後退を肯定する口実に使われたのに対し、日本に於いては、後退を防ぐ為に贅沢を諦め禁欲を推奨するという方向に進んだ。禁欲が熱やガスや悪臭をも減らすという副産物もあって、日本男児たちは、質素と健康を、それが実践出来るかどうかは別として、男の美徳とする事となる。この美徳は多くの女性たちに支持され、ルールから逸脱した者は、若い女性達より、社会的制裁を受ける事となる。
 もちろん、日本の女性の中にも『後退』を気にせずに色相的贅沢を求める者も少なからずいたが、その比率は西洋に比べて遥かに少ない。かくて日本は自然志向に関して特異な文化を発展させた。その精神の源流を求めるなら、それはミドリの黒髪という表現に集約できるかも知れない。
 だが、かような日本の努力も、西洋、特に米国の『後退』無頓着文化の前には無駄に等しかった。否、1980年代以降ともなれば、日本すら『後退』を許容する世界に加わってしまったのだ。かつてのミドリは後退し、そこには人工的な覆いがかけられて、蒸気の循環を妨げるのみならず、効率的に太陽熱を吸収する事によって、非自然な環境へと変貌してしまった。直接のきっかけは、バブルに始まる満ち足りた爛熟文化によって、女性達が『個性の発露』の名の元に、『後退』の反自然な姿に満足してしまった事だろう。そればかりか、彼女達も、混沌に穴があけ、表面を着色して白を駆逐するのに協力するようになったのだ。勢い男達も、『後退』を一昔前程には気にする必要がなくなって、ますます『後退』に拍車がかかる事となった。日本ですらこの有様である。他に『後退』を気にする国が何処にあろう?

 自然の掟に拠れば、このような『天然』無視がいつまでも続けられる筈が無い。しっぺ返しに一番始めに気付いたのは、スイスの客商売の連中だった。銀行に代表されるスイス人は昔から利にうるさい。だから、後退による金銭的損害が無視出来ない事に、百年近くも前から気付いていた。実際、客商売において後退は禁物であろう。現地に実際に赴いた事のある氷学者の中谷宇吉郎は、著書の中で当時の雰囲気を
「・・・まさに営業妨害の・・・」
(初出1957年11月、引用は岩波文庫『中谷宇吉郎紀行集』の226ページより)
と表現している。
 しかし、如何に彼らが『後退』に対していち早く危機感を抱いていたとは言え、当時の一般的コンセンサス・・・後退は人類の精力の証である云々・・・に従えば、危機は杞憂の筈だ。現に、後退にもかかわらず、その美しくも迫力ある姿を見ようとする客が増加する一方だった。美しきものは、それが珍しければ珍しいほど商品価値が高くなる。これはダイヤモンドに象徴される真理である。だから、せっかく20世紀前半に『後退』問題が一部の顧客産業で顕著になったにもかかわらず、半世紀以上もこの問題は放置された。

 それでもスイスの危機感から、『後退』の原因について科学的な議論が起こった事は、半歩の前進を意味していよう。Heritage という自然現象なのか、それとも精力という人為的なものなのか。人為的なものだとしたら、精力のどの部分が後退を引き起こしているのか、後退がこのまま続けば世界はどうなるのか、等々。それは手探りの議論であった。その手探り感は、これも中谷宇吉郎の著書に記されている。彼は『後退』の原因要素に関して上述の著書で考察し、
「・・・数百年程度の・・・周期・・・」
によるものなのか
「・・・人為的な事に起因・・・」
(同上、228ページ)
のか分からないと述べている。
 前者について不思議に思われる者も多いかも知れないが、過去数千年のデータに拠れば、人間を取り巻く環境は周期的に変わっており、少なくとも20世紀前半までは、その主要原因は戦争等の人間活動でなく、太陽にあったという。最近10年に限ってみれば人為的原因が重要であるが、中谷宇吉郎が議論していた時代は人為的原因は比較的小さかったとされており、現に1970年〜1985年に至っては原因要素は減少している。
 後退と太陽との関係とは、云われてみれば頷かざるをえないが、それは、『後退は人間の精力の現れである』という思想に毒された政治的科学者には受け入れ難いものであった。中谷宇吉郎は真面目だから、扇動的な事は言わないが、同時代の西洋の有名科学者には、人為的原因を強く主張し、その中でもガスが最大の要因であると主張する者が多かった。人間の精力が増加する事による影響には、ガスの他に熱や悪臭や窮屈な覆いなど色々あるが、その中のガスのみに注目したのは、それが一番分かり易くてアピール性が高いと判断したからである。

アップロードファイル 3-1.jpg

 一体、科学者には自己顕示欲が強い者が多く、彼らは大衆へのアピール性の強い主張を好む。そして大衆はオタク型科学者よりも政治的科学者の方を
『科学を世間に還元している』
と信じて評価するものである。こうして政治的に正しい科学主張というものが形成されるのだが、それは『後退』問題でも当てはまり、過去半世紀の間、常に『ガスが後退の主要原因となっている可能性が高い』と主張され続けた。可能性とは便利な言葉である。
 もちろん、『後退』問題を環境問題として警告し続けた功績は大きい。しかしながら、ミドリの後退に伴う人工的な覆いに関して『量的に無視出来る』と一顧だにしなかった罪は大きい。きちんとデータのみを調べている者の間では、この『量的に無視出来る』筈の効果が、日本に於いては『ガス』の効果の10倍以上ある事が常識であるが、それを主張するのは政治的に正しくないとされている。
 一体、人間の頭だって、乾燥した土地では髪が薄くなる事が報告されており、強過ぎる日射を避けよと言われると同時に、ヘルメットの余りに長い着用が髪に悪影響を与える事ぐらい誰でも知っている。一方のガスだけを悪者あつかいする態度で、後退問題が解決する筈はない。
 こんな簡単な事に気付く前に完全に禿げ上がってしまわない事を願うばかりだ。

written 2007-9-15

 追記。偶然の一致ですが、書き上げた1ヶ月後の10月12日、政治的な賞として最も権威のあるノーベル平和ショーにICPPが決まりまして、『ガス』効果を宣伝する活動が科学でなく政治である事を裏打ちしております。
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