『耳なし芳一』変奏曲
原曲
盲目ながら楽器の達人で知られている人物に、ある時「外には出られない人」の為の出張演奏の依頼が入る。彼の演奏は、この貴人らしき人物の前でも好評で、何度も呼ばれるが、実は、そこで墓場であり、聞き手は幽霊であった。そこで、幽霊除けの為に経文を体じゅうに書き付ける。しかし、、、、
1. セイレーンの門・・・スプートニク50周年を記念して
2. モーツアルトの恋歌
3. メフィストフェレスの再挑戦
---------------------------------------
セイレーンの門・・・スプートニク50周年を記念して
・・・今から50年前の1957年10月4日、当時の超大二国の片割れだったソ連が、まさに国際地球年の開幕に合わせるかのように、人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、その4ヶ月後の1958年1月末、残る米国も人工衛星エクスプローラーで追いかけて、宇宙探査の時代が始まった。それはオデュッセイア以来の航海伝承(注1)に代わる、新しい冒険伝承の始まりをも意味していた・・・
序文:
遭難したオデュッセウスは遠い海を見つめていた。彼の故郷は水平線の彼方、ヘリオス(注2)の海の向うにある。だが、それを渡るには、彼の船は余りに未熟だった。推進力が全然足りなかったのだ。沿岸沿いに島を渡るのが関の山で、それすら危険に満ちていた。その一つ目がセイレーン(注3)の海峡だ。ヘリオスに海に入るには、彼女らの棲む島の横を抜けなければならなかった。
地球科学者たちもまた遠い海を見つめていた。彼らの想いもヘリオスの海の向うにある。だが、それを渡るには、彼らの船は余りに未熟だった。推進力が全然足りなかったのだ。地球脱出の11km/sさえままならないのに、太陽系脱出の42km/s(注4)なんて、夢のまた夢である。ロケットの根本技術が変わらない限り不可能だった。だが、そのくらいで諦めては知謀の将・オデュッセウスの子孫の沽券にかかわる。地球を知る為に、否、世界を知る為に、科学者たちはヘリオスに点在する星々の全てを知らなければならないのだ。ついに一つの希望を見つけた。それは木星。その重力で宇宙船を加速させれば(注5)、太陽系の殆ど何処へにも今のロケット技術で行ける筈だ。木星はまさに現代のセイレーン海峡であった。
セイレーン、それは人を喰らう3人の乙女を指す。彼女らの奏でる歌は、舟人たちの心を惑わせ、意識を縛って、体ごと彼女らに引きつける。その調べは重力よりも強い電磁力、あるいは麻薬。殺されると分かっているのに、マタタビのように体が言う事を効かなくのだ。彼女らの見事な音楽に対抗出来た人間は、過去にただ一人、オルフェイス(注6)だけだ。でも、この魔の音楽から身を守らなければサイレンの横を無事に抜ける事は出来ない。だから、船乗りたちは、島に近づくや耳をしっかり塞いだが、それでも気の毒な脱落者はあとを絶たなかった。というのも、塞いだその隙間から漏れて聞こえる僅かの音の為に惑わされるから。まさに魔の音楽と言えよう。
木星にもセイレーンが棲んでいる。いや、棲んでいる筈だ。少なくとも宇宙航海を計画した者たちはそう自覚していた。実際、木星はセイレーンの名に恥じない音楽の宝庫だ。イオという作曲家が、木星自転というリズムをバックに、たまに太陽風というアドリブも入れつつ作る調和音楽は、あらゆる科学者たちがそれを聴きたいと願う。しかし、その神秘を木星の近くで聴く事は許されない。地球ですら聞こえるというその凄まじいエネルギーで(注7)、近づく探査機の船長とも言えるコンピューター、或いは乗員とも言える観測装置を破壊してしまう。現代科学の生んだ最高の船乗りたちですら、全く歯が立たいのだ。まさしくセイレーンの歌ではないか。だから、この電磁音波の魔物から仲間たちを守る事は、オデュッセウスのみならず、ヘリオスの航海を計画した全ての者の悩みの種であった。
いよいよ我らが主人公、技師Gの出番だ。彼は長らく観測装置を手掛けて来た。宇宙と言う何も見えない闇の中で、手探り状態のまま観測し、データを取得する。これが「宇宙仕様」の観測装置だ。得られた『データ』は科学者にとっては名画・名曲にも匹敵する。それを元に彼らは評論家さながらの解釈を施して、宇宙の神秘、即ち目に見えない世界を夢想する。
技師Gの作る装置は、とりわけ素晴らしいデータを採取する事で知られ、多くの科学者たちが、彼の手による装置を欲しがった。確かに彼の装置が測定して出力するデータは、自然の神秘を、ある時は歌うように、ある時はハモるように、ある時はエネルギッシュに、目の前にありありと見せた。そこにノイズやミスタッチは存在せず、全てが自然の作った楽譜の通りの演奏だった。即興の名曲、名演奏とは、こういうデータを指すに違いない。その調べを前に、ある博士は唸り、ある教授は歓喜し、別の研究員は完全に沈黙した。それほどの名演奏家を、技師Gは次々に世に送り出したのだ。彼が博士や教授よりも高い給料で雇われてい事に、意見どころか疑問すら差し挟む者すらなかったも当然と言えよう。
さらに技師Gの凄い所は、彼の子供たち、そう、観測装置という名の名演奏家たちが何処に連れて行かれようと決して頓着しなかった事だ。
「今度は○○5号かい?」
「えっと、こいつは××3号に載せたんだったよな」
と尋ねる彼は、○○5号や××3号が宇宙の何処に向けて飛ばされたかすら知らなかった。彼は機械がきちんと働いてくれさえすれば良かったのだ。余分な事は一切詮索しない職人の鏡、だからこそ、彼は素晴らしい名演奏家を続々と生み出し続ける事が出来たのだ。彼の興味は放射線ドースであり、紫外線であり、その他一切の、機械に関わる問題だけだった。機械の送り先が人工衛星の墓場だろうが夢見る科学者の天国だろうがどうでも良い事なのだ。
ヘリオスの海を渡る決意をした科学者たちが、彼らの宇宙船に技師Gの観測装置を載せたがったのは自然な成り行きだろう。そのミッションの高価さに見合う美しいデータが生まれなければならないからだ。乗組員は名演奏家だけで固める必要があった。だが、そこに立ちはだかったのがセイレーンだ。自然の作った楽譜の通りと言う事は、セイレーンの破壊的音楽をもまた聞いてしまうという事ではないか? ギリシャ時代の亡霊が、今こそ、技師Gの前に立ちはだかっていた。
本歌:
ワイの機械は、ジュークボックス、
名曲名演すべて即興。
ある時ゃ海で、ある時ゃ地下で、
ある時ゃ原子炉、危険の中で、
とったデータは美しく、
これ聞き先生、酔っぱらう。
ワイの機械は、毎年育つ、
改良ひらめき24時間、
ある時ゃ風呂で、ある時ゃ散歩で、
ある時ゃ暗い実験室で。
だから始めはお転婆も
必ずしつけが行き届く
ワイの自慢の、箱入り娘、
偉い博士と相思相愛、
相手はナサとか言うらしい。
それが何処だか知らんけど、
娘を嫁に出したらば、
墓まで聞かぬが心意気。
それでも聞こえる、風の便り、
行った先は宇宙とか、
兵隊みたいな服の奴らと、
墓場よりも寒い空虚へ。
それでも自慢じゃないが、
ワイの機械は無事だろよ。
知らぬ闇へ嫁出し続けて、
噂はヘリオスに漕ぎ出すとか、
ひとりぼっちで、まさにユリシス、
盲目さながら手探りの旅。
問題一つ、それは木星
怖いお化けが居るのだと。
ヘリオス行くにゃ、寄らねばならぬ
木星まわりの放射線、
それは宇宙のセイレーン
耳奪われりゃ修復不能
耳奪われても助かった
耳無し芳一の比ではない。
それでも娘は嫁に行く、
甘い舞台じゃないけれど
魔除けはワイに任せてくれ
フィルター、電源、何でもござい
そして娘よ、人類に、
ヘリオスの歌を聞かせておくれ。
後文:
セイレーンの三魔女もまた常に戦々恐々としていた。というのも、彼女らにも予言と云う名の呪いがかけられていたからだ。曰く
『彼女らの歌を聴きつつ、全員無事に通過する船があったら、逆に彼女たちの命が尽きる』
この予言が故に、セイレーンもまた、決して手を抜いて歌う事はなかった。否、彼女たちの歌は年を追う毎にますます抗い難い麻薬へと昇華したのだ。
もちろん、セイレーンの歌を聴いて心奪われない者なぞ存在しない。挑戦者たちはことごとくセイレーンの餌食となった。他の船員全てに耳を塞ぐ中、一人だけ耳を塞がずに挑戦した者はあるが、それでも他の船員の制止を振り切って船から離れてしまった。かのオルフェウスの乗った船ですら、オルフェウスが最高の歌を奏で続けて船員の耳を奪ったにも関わらず、セイレーンの歌が耳に入ってしまったが故に船を離れた仲間が出たのだ。このオルフェウス通過がセイレーンの過去において最大の危機であった事は間違いない。
そこに現れたのがオデュッセウスだ。トロイの木馬に見られる彼の知謀はセイレーンを戦慄させた。というのも、ヘリオスの海へ向かう彼は、その知恵をフルに使って、セイレーンの歌を聴くという挑戦を敢行したからだ。オデュッセウスは体を船に縛り、それを決して解かないようにと、耳を塞いだ部下たちに厳しく言い渡した。もちろん、過去にも体を船に縛って通過を試みた者があるが、セイレーンの歌に綱が緩み、そのまま磁力に引きつけられるように、結局はセイレーンに向かって海へ飛び込み、彼女らの餌食となっている。その轍をオデュッセウスは踏まない。彼は部下の船乗りたちにこう言い渡した。
『オレが何か一言発したら、その唇の動き一言毎に、縛めを更にきつくしろ』
セイレーンには2つの選択があった。そう、一つはオデュッセウスの挑戦を避けて歌わない事。耳無し芳一ならそうしていたであろう。だが、歌う事を止めた時点で、セイレーンはセイレーンでなくなる。相手が命を奪う程の者である事を知っても、なおも歌い続けるのがセイレーンではないか。彼女たちは最高の声で、最高の調べで、オデュッセウスの挑戦に応えた。
結果は読者の知っている通り、オデュッセウスはセイレーンの歌を堪能しつつも無事に通過し、その結果、予言の通り、セイレーンは死んだ。耳無し芳一のように、彼女らを呪いから守ってくれるお経は何処にも無かったのだ。
現代のセイレーンは今も生き続け、歌い続けている。そこを通過する宇宙船は、全て電源を落として耳を塞ぐ。本当の意味で宇宙のオデュッセウスはまだ現れていないのだ。セイレーンの宇宙島は、今なおヘリオスへの道の関門でありつづけている。
- - - - - - - - - - - - - -
注1) オデュッセウスはトロイの木馬で有名なギリシャの英雄。彼の10年がかりの帰航海の話は、オデュッセイアという名の欧州最古の古典文学で、盲目音楽家(まさに琵琶法師と同じ)のホメロスによって語られた。オデュッセウス(Odysseus)というのはギリシャ語の名前で、英語、ドイツ語圏での名称はUlysses(ユリシーズ又はユリシス)。
注2) ギリシャ神話の太陽神。太陽圏(3次元太陽系)という言葉の語源。
注3) サイレンの語源。
注4) 42kmというのは地球軌道における対太陽速度で、現実には地球の対太陽速度が既に30km/sあるため、一旦地球重力圏を離れたら、そこからの加速は12km/s強でよい。ちなみに地球周回の人工衛星の殆どは7km/s強(脱出まで4km/s弱の加速)であり、静止衛星の速度は3km/s(脱出まで1km/s強の加速)であって、これを加えると、宇宙ステーションからの太陽脱出速度は16km/s、静止衛星からの太陽脱出速度は13.5km/sとなる。これらは、円軌道の物体が脱出エネルギーの半分の運動エネルギーを持っている事から計算出来る。なお、運動エネルギーは速度の自乗に比例するから、既に加速しているロケットを更なる加速する場合は数字以上にエネルギーを要する。
注5) スイングバイ(重力加速)。太陽の周りを回っていたつもりの遊星の前に、いつしか巨大な重力が現れたら、当然、そちらに合わせて軌道が変わるが、この変わる方向によって、太陽から見た相対速度が加速したり減速したりする。スイングバイ自体は木星だけでなくどの星でも可能だが、太陽系を脱出し得る程の加速(注4参照)となると地球、金星、火星では不可能で、木星を使わなければならない。だから、過去の全ての太陽系探査機(Voyager-1 (1977-9-5), Voyager-2 (1977-8-20), Pioneer-10 (1972-3-3), Pioneer-11 (1973-4-6), Ulysses (1990-10-6), New Hprizon (2006-1-20))や土星探査機(Cassini (1997-10-15))は木星に立ち寄っている。
注6) ギリシャ12神の一人であるアポロンの音楽の弟子の一人。アポロンは予言と共に音楽の神でもあった。
注7) 太陽面が大爆発する時に出るのと同じエネルギー(MeV)の、しかも更に重い粒子が木星の周りに飛び回っている。地球の周りの人工衛星が時々壊れるのもこのエネルギー粒子のせいで、それを前もって警報する為に宇宙天気予報というのがある。
written 2007-4-22
---------------------------------------
モーツアルトの恋歌
恋は、ああ、我が恋は、、、、盲目。
クライマックスに向かって一気に太く弾いた。歌詞はなくとも俺には分かる。悲しいまでの滑稽、この曲の醍醐味だ!
『おい、そこはヴィーダじゃない!』
えっ? 瞬時に現実に戻される。
楽譜に目を凝らすと、そこは確かに奴の言う通り。だが、この歌、この調べ、このモーツアルト、正に恋へまっしぐら、全てを飛ばしてクライマックスという雰囲気ではないか?
「俺は、ヴィーダだ!」
思わず、そう叫んだ。それを聞いて、クラスメートが嘲笑する
『奴は音楽が分かっていない』
俺は音楽の落ちこぼれ。5つの時にモーツアルトを弾いて、神童と持てはやされてから13年、勝手に天才と思い込んで練習に打ち込み、やっと最高の音楽大学に入ったは良いが、その瞬間に人生を間違えたと悟った。俺が神童なら、クラスメートは皆天才だ。それを知った日からは絶望の日々。だが、それでも音楽に恋している。連中に負けやしない。
連中の奏でる曲は、確かに聞いてて心地よい。それに比べて、俺の弾き方はどうだ。弾いている俺しか恍惚にならない。試しに録音してあとで聞いたら聞けるものではなかった。だが、それとこれとは話が違う。どんな落ちこぼれにだって、思いの通じる曲は存在する。そして、この曲に限れば、確かに俺のヴィーダが正しいと、感性の全てが訴える。たまには俺の方が正しい事があっても良いではないか? これを否定されたら、俺の僅かな才能の、その僅かな部分すらも否定されるも同じだ。
恋へのヴィーダ。それはモーツアルトの世界だ。主人公のみならず、数組の登場人物たちが恋の虜となって、愛のさえずりを高らかに歌い続ける。こんな滑稽な話なのに、どのアリアもどの旋律も名曲として知られているから、恋の力はあなどれない。そう、恋は人を芸術家に変え、恋への盲目はその芸を最高のものへと昇華するのだ。俺だって、初恋の相手を前に、二度と有り得ない最高の演奏をした事がある。今にして思えば、それは恋人ごっこの喜劇悲劇ドラマ、盲目になるほど恋しなければ決して生まれなかったろう。だからこその会心の演奏だった。普段の俺の独りよがりな演奏でなく、誰か他人に訴える演奏。
恋中毒が名曲を生む、この真理こそが、俺の、そう、「俺のモーツアルト」のオペラだ。この真理なくば、モーツアルトのオペラは一つも存在しない。その全てに「恋は盲目」の通奏低音が聴こえて来る。異工同曲に、恋の喜劇を歌い、その度に世界の賞賛を浴びる。だから、俺にとって、モーツアルトのオペラは、全て恋へとヴィーダする。
『おまえ、どこにヴィーダの記号(注1)がある?』
再び思念がかき乱される。
アンサンブルなら確かに連中が正しい。俺だけが勝手に飛んでいては曲が滅茶苦茶だから。だが、ここは殆どソロ。この舞台の流れ、この情感なら、クライマックスにヴィーダしてもおかしくない筈だ! だからこそ俺は今までそう奏で続けた。これからもそうだろう。少なくとも、俺の憧れるあの人の前では。
そう、俺が自信を持ってこの曲を歌えるのも、俺が自信をもって、他の天才同級生たちち楯突けるのも、彼女への一人喜劇を俺自身が知っているからだ。俺はピエロに徹して、最高の曲を、自虐的に奏でる。そして、俺の加えたヴィーダを、あの人は確かに理解してくれる。否、この跳躍を聴いて、彼女は俺の心を知る筈だ。源氏のとっての藤壷の如く、禁断の距離を隔てた、絶対絶命の愛を。だからこそ、俺はこの才能にも関わらず演奏出来る。
モーツアルトの恋盲目オペラの数々は、ドン・ジョバンニ(注2)でクライマックスを迎える。女を追いかける事に夢中で分別を失ったドンファンの目の前に、かの、石武者の亡霊が現れる有名な場面で、オペラ全体の主題旋律と共に。それは、あらゆる不実の恋から目を覚まさせるバス低音のソロ。喜劇の中の一瞬の短調。その先には地獄しかないという暗示を意味して。
俺に石武者は見えない。だが、彼が俺をも監視していないとどうして言い切れよう。俺は今では落ちこぼれだが、そして俺は充分に女に慎重だと信じるが、それであの亡霊が消える訳ではない。石武者はそれだけを咎めているんじゃないのだ。恋への盲目そのものを咎めている。
歴史家は意気揚々と己の知識を誇る・・・あの亡霊は死んだばかりの父親の陰であると。そんな知識なぞ糞くらえだ。俺に欲しいのは、この亡霊が恋の真理をモーツアルトが書き続けた決算だという事だけだ。盲目の行き先が、結婚という人生の墓場と分かっていても、人はなおも、その墓場に突進する。それを咎める石武者の亡霊だという事だけだ。その先には地獄の深淵が覗いている。そして、俺の、恋のヴィーダも、別の意味でそこに行き着く。だからヴィーダ。楽譜に書かれていなくても。
俺は恋を続けて、そして奏で続ける。盲目の恋こそ、名演奏の原動力。実力のない俺が音楽で生き延びるには、俺はこの禁断の力にすがり続けなければならない。たとい、それがドンジョバンニの石武者を呼び出そうとも。たとい、生活地獄の将来が見えていようとも。
この才能で亡霊から逃れる唯一の路は、「安定した」職に就く事のみだ。例えば先生、たとえは家庭教師。親や友人はそれを望み、そして、諌める、「二十歳までなら芸術に取り憑かれても良いけど、大人になったら生活の事も考えなさい」と。俺は、俺は、どうすればよい? 俺は理想は捨てきれない。俺には盲目の恋が付いている。これが俺のような凡才に名演奏をさせ、そして観客の喝采を呼ぶ、それが、どんな場末の酒場であっても。
俺には2つの未来が見える。俺に与えられる、芸術の現実と理想。一つは普通の音楽教師。それは俺が音楽を捨てる事、即ち後宮の彼女と永遠に接点を失う事を意味する。もう一つは、幻の辻法師。シューベルトが冬の旅(注3)の最後に悼んだ、あの乞食演奏者だ。
乞食の音楽は、禁断の高い塀を越えて、確かに彼女に届くだろう・・・。
- - - - - - - - - - - - - -
注1) 繰り返しのあと、途中を省略して一気にクライマックスに飛ぶ事を指示する記号。
注2) モーツアルトの最後から2番目のオペラ。主人公が女を引っ替え取っ替えアバンチュールを楽しむが故に最後に地獄に堕ちた、というドンファン伝説(オペラではドン・ジョバンニという男)をオペラ化したもので、音楽的には最後のオペラの魔笛を凌いで、彼の最高傑作だと言われている。
注3) 精神の苦しい放浪を歌った24の曲からなり、シューベルトのみならずクラシック歌曲集の最高峰と言われる。その終曲が「辻音楽師」。
written 2007-4-30
---------------------------------------
メフィストフェレスの再挑戦
メフィストフェレスは不満だった。というのも、
「ファウスト博士(注1)の正統な後継者の魂を奪うまで地獄に戻ってはならぬ」
と、上司にきつく言われたからだ。
悪魔界の規則をそのままメフィストに当てはめれば、確かに
『ファウスト博士の助手として博士に尽くしながら、博士の魂を取り損ねた』
という事実のみが残る。しかも取り損ねたのは歴史上希に見る偉大な魂だ。それは悪魔界追放クラスの大失態には違いない。これが『客観』事実だ。
「だが、、、」
と、メフィストは頭を振った。百歩譲って博士の魂を取り損ねた事を失態と認めたとしても、学者馬鹿の博士をそそのかせて、地上に『失政』という人類最悪の悪事を広めた功績は、魂の1個2個に比べべられないほど悪魔界に貢献している筈ではないか? 悪魔とは、本来の目的を遂行すれば、見かけ上で人間を助けても構わない筈ではないか?
実際、彼は博士の助手として、博士が数々の犯罪に手を染めるようにお膳立てした。手始めは、博士を格好よい若者に仕立てて純情グレートフェンを誘惑し、乙女として最悪の犯罪と母親としての最悪の犯罪を彼女に犯させ、つづいて博士をシンクタンクに仕立ててヘッジファンドも真っ青になるような超バブルを創出し、その挙げ句にバブル政策が国民生活を圧迫して国民や被害小国が批判を始めると彼らを武力で弾圧した。更には偉大なる古代ギリシャの歴史すらをも博士の都合の良いように書き換えたのだから、その「悪の功績」ときたら、某大統領と某政党と某総統と某軍部を足し合わせたよりも大きい筈である。ファウスト博士ほど、善を盲目的に望んで結果的に悪の手先になった者はかつて無かったろう。もちろん、人間誰しも、善をやっているつもりが、結果的に誰かの迷惑になる場合があるが、ファウスト博士のそれは、歴史に類を見ないスケールであった。
「全て俺の功績じゃないか!」
と。地上に追放されたメフィストは毒づいた。
しかし、悪魔界の官僚共は人間界の小役人共なみに杓子定規だった。高級官僚のメフィストフェレスは失敗者の烙印を押され、彼は上司や同僚をのろった。
彼がとりわけ不満だったのは、悪の仕上げとも言える海洋破壊を全く評価して貰えなかったことだ。上司も同僚も
『干拓のような善事を評価する悪魔が何処におる?』
との一言の元にメフィストの釈明を却下した。彼はこの言葉をもって、悪魔も人間並みに馬鹿だと悟った。人類の罪悪の中でも最大級の罪悪が地球環境破壊である事は論を待たない。戦争は人間だけを滅ぼすが、地球破壊は人間以外をも滅ぼす。正に究極の最終兵器である。そして、その象徴たる海洋破壊は、人類史においては干拓「公共」事業と言う名の元に始まり、それが契機となって人類は環境を弄くる事を始めたのだ。この干拓を最初に手掛けたのが他ならぬファウスト博士とメフィストのコンビであった。
地球滅亡に向けた壮大な構想。メフィストはこれを思いついた時、鼻高々であった。だが、彼の高い鷲鼻は現実という重みにへし曲げられた。誰もが干拓を善と信じ、環境破壊の延長として考える者が無かったからだ。そもそも、環境破壊自体の弊害が認識されたのですら20世紀も後半になっての事で、それも、ごく一部の人間しか警鐘しなかった程だ。それは悪魔界もそうであろう。いくら聡明なるメフィストが干拓の真理を説得したところで、それは、誰にも認めて貰えない孤独を彼に味わさせるだけの事だった。どんなに先見の明があっても、悪魔界を追放されては意味が無い。
干拓に限らず、彼が博士をそそのかせて始めたマクロ罪の数々は、悪魔界においては悪事としてでなく善事としてしか看做されなかった。超バブルにしろ、それに続く戦争弾圧にしろ、
『人々を取りあえず安心させた』『共産主義化を防いだ』
という理由で、悪魔界では決して悪行とは認められなかった。そして、それらの「善」認定が故に、メフィストは博士の魂を取り逃した事を厳しく糾弾されたのである。
しかし、事実は逆であった。メフィストは博士の魂を半ばわざと取り逃したのだ・・・悪行を蔓延らせる為に。というのも、
「どんな悪行を実際に行おうとも、本人が理念を追い続けた結果の過ちである限り、その魂は反省なしに救われる」
という前例を作る事により、この「悪事容認」主義は新興宗教として蔓延するに違いなかったからだ。実際の歴史もそのように進むのだから、メフィストのこの判断は干拓事業以上に悪魔界に賞賛されてしかるべきだろう。理想が高ければ高いほど、感覚が常識から外れて、理想の達成の為に残虐なことを敢えてする。それが人間だ。ところが、肝心かなめの悪行を悪行として誰も認めようとしない。これでは、いくらメフィストがその先見の明で持って悪事推奨の種を蒔いたと主張しても無駄であろう。メフィストは悪魔界の構造改革の必要を痛切に感じた。
悪魔界の決定がどんなに理不尽であれ、メフィストフェレスはそれに従うしか無い。だから彼は何百年ものあいだ、ファウスト博士の後継者に相応しい魂を探し求めていた。
ファウスト博士の正統な後継者とは、哲学・医学・法学・天文学・卜学に関する広い知識を極めながらも、なおも
「学問を極める以前と比べて、自分は全く利口になっていない」
と不満を感じ、常に向上心・挑戦心を失わない者である。不幸にして、そういう博士はざらにはいなかった。もちろん、数多くの博士が常に向上心・挑戦心を失わないという条件を満たしていたが、学問を極めた後に「全く利口になっていない」と謙虚な事を思うかとなると別だ。というのも、大発見を成し遂げるような博士は、口で何と言おうとも、心の奥底では「人類はより賢くなった」と発見の度に自惚れるからである。でなくば、ノーベル賞を辞退する科学者がいない筈がない。かつてノーベル賞を辞退したのは哲学者サルトル(注2)だけだ。
もっともサルトル相手ではメフィストも手が出せなかった。確かに彼はファウストの後継者たるに相応しく、哲学を極めるばかりか新しい哲学「実存主義」をも創始し、それにも関わらず常に向上心・挑戦心を持ち続けた男だ。しかし、同時に結婚すら「2年間の契約結婚」などという奇妙な契約をするような者でもある。彼相手の契約では、悪魔すらほぞを咬むような、とんでもない罠があるに決まっていた。
そういうメフィストフェレスの努力もついに実る時がきた。そう、ついに見つけたのである。博士でありながら、自らの知識を全く未熟と思い、いよいよ新しい挑戦を始めている者を。
探し疲れて昼寝をしているうちに数十年の時が流れ、メフィストが気がついた時には世の中は博士に溢れていた。それも当然だろう。アメリカに始まった博士量産計画は、今や日本やヨーロッパをも覆い、毎年の新博士の数は15年毎に倍増している(注3)。もっとも、質量保存の法則によれば、博士の数が増えれば博士の質が落ちる訳で、今の博士は20年前の修士程度の価値しかなく、40年前の学士程度の価値しか無いと噂されているが、新時代に疎いメフィストは、そういう細かい事情には没交渉だった。そもそも、中世の博士観を引きずっている悪魔にとっては、どんな者も博士は博士だ。
メフィストをとりわけ驚かせたのは、博士の多くが「自分は全く利口になっていない」と嘆いている姿だった。もちろん、博士号を取得して直ぐに就職出来るような優秀な者は、決して博士課程を通して「全く利口になっていない」とは思わないだろう。しかし、世の中はそういう博士ばかりではない。アカデミズムへの就職のチャンスの全くない博士というのも少なからず居るのであって、そういう連中の多くは、得てして、修士で就職出来なかった故に博士課程に止むなく残った「就職モラトリアム」であり、だからこそ就職出来ない事に「自分は全く利口になっていない」と嘆のだ。ただし、そういう事情を、メフィストが知る由も無い。嘆き=謙虚というのが彼の知っている唯一の公式だった。
そういう「謙虚な」博士の中から、哲学・医学・法学・天文学・卜学に関する広い知識を有し、しかも新しい人生に挑戦する者をメフィストは探し始めた。後者に関しては易しい。というのも、博士の数が増える事によって急速に増大した博士フリーターの多くが、最終的に学術・研究・教育とは全く関係ない仕事に就かざるを得ないからだ。新博士毎年1万6千人という数字は、同世代人口の1%を遥かに越える。そして、医学の分野を除けば、新博士の半数近くが事実上のフリーターだ(注4)。満員電車を例に取れば、各車両に1〜2人の博士がいて、電車全体で数人の博士フリーターがいる勘定になる。犬も歩けば・・・というのはこの事であり、メフィストが問題としなければならないのは、前者の「広い知識を有する」という条件だけだった。
そういう博士を求めてメフィストが異空間をさまよっていると、とある部屋に博士を見つけた。そこには、哲学・医学・法学・天文学・卜学に留まらず更に幅広い分野の書籍、しかも表紙から読める限り、法律の抜け道など、その道のプロでないと分からないような題目の書籍が並んでいた。更には、医薬品はおろか健康食品や文明の最新の利器まで揃えている。かくも密度の高いこじんまりした部屋の中にあって、その博士は椅子を暖める暇もなく、常に人間観察を怠らずに立ち働いているのだ・・・深夜にも関わらず。これほど手広い分野を一手に引き受ける「博士」の存在はメフィストには新鮮な驚きであった。あとは契約するだけ、彼はそう思って策を巡らせた・・・。
コンビニ店員の更に助手という境遇に陥った初代メフィストフェレスが、契約相手の「博士」の魂を地獄に持ち帰る事が出来るかどうかは、誰にも分かるまい。だが、その魂を持ち帰った所で彼の名誉が回復され得ない事だけは確かだった。
- - - - - - - - - - - - - -
注1) ゲーテの『ファウスト』に基づく。ファウスト博士は学者馬鹿ゆえに悪魔に魅入られ、悪魔を前にいい気になって己の理想を演奏しているうちに破滅が近づく・・・破滅直前には3人の警告者まで現れて彼に目を覚まさせようとするが失敗・・・が、結局は天国に安住する。だから物語構造は何処かの琵琶弾きとなんら変わらない。死の直前にファウスト博士が実際に失明する下りは、学者馬鹿の、現実の善悪に対する盲目を象徴しているのかも知れない。なお、『ファウスト』のあらすじは
ネット百科
等で読めるが、あらすじなぞ見ずに全訳を読んだ方が遥かに面白い。
注2) Jean-Paul Charles Aymard Sartre (1905-1980)。フランスの哲学者で実存主義の事実上の創始者。1964年にノーベル文学賞に選ばれた時、「神格化されるには値しない」と言って辞退した。
注3) 新規博士の数は、1885年〜1960年の累計9万、1965年度4千人、1985年度8千人、2000年度1万6千人(文部省の資料に依る)。この数字は米国の2万2千に比べると、総人口比でも総研究費比でも大学教官総数比でも遥かに多い。すなわち、日本程博士を安売りしている国がない、という事実が浮かび上がる。ちなみに、大学の先生は総数で16万人だから、新博士の3割以下しか大学には就職出来ない。
注4) 科学技術白書2006年版
(第2部の第2章)によると、医学博士以外の博士の5割が博士号取得時点で職が決まっていない、全く関係ない職業(家事手伝いとか)についている者も多く、1割に至っては行方不明である。
written 2007-5-27
===========================================